和装文化について考えてみる
総務省の二人以上世帯の家計調査をまとめたグラフを見てほしい。
これは20年前から和服関連に関して年間の支出額の推移をまとめたもの。2000年当時は9,394円あったものが、直近の2021年では1,395円にまで落ち込んでしまった。もはや家計調査の支出項目の中でもに位置している。
これは日本人の和装離れといったレベルではなく、和装としての文化の存続自体が危ぶまれているような気にもなる。今回は日本の装いの歴史ともいえる和装ビジネスについて取り上げてみたい。
呉服着物の小売市場規模は横ばいから徐々に縮小傾向にある。矢野経済研究所の調査資料によれば、ここ10年間では2013年に3,010億円を記録したのをピークに、2019年では2,605億円と2割以上縮小している。
呉服着物そのものは、今や愛好家や伝統行事によって支えられている市場といっても過言ではない。しかし、成人式を見送った自治体も多かったことを思えば、様々な業界に甚大な被害をもたらしたコロナ禍が、和装業界にも少なからずダメージを与えたことは想像に難くない。
和装事業大手の株式会社一蔵の2021年3月期の第3四半期決算を見てみると、和装事業の累計売上高8,431百万円と前年四半期比1、セグメント利益は12百万円と前年同四半期比98.8%減と大幅な減収減益。一方で受注残高は3,363百万円と前年同四半期比で2.1%の増加している。
これは主に振袖事業に関した受注額の伸びで、直近のコロナ事情では悲観せずにいられないものの、。可愛い娘の成人式に振袖を用意する習慣は、孫に高級ランドセルを贈る祖父母の存在と共通しているのかも知れない。
ここで少し歴史を振り返ってみたい。日本に洋装文化が輸入され始めたのは明治以降のことだが、一般の人にまで普及したのはずっと先の話で、敗戦後の復興期辺りからの話となる。ここに昭和(1941年)当時の街頭アンケートがある。日本の伝統着だった和装が洋装化していった変遷の一端を解説しよう。
先ずケート結果の特徴としてはっきりとしているのは、若い学生達と社会人・専業主婦(家庭婦人)との世代感による着こなしの違いがハッキリと見て取れることだ。特に女学生と専門学生の生徒達は普段着にも、外出着にも着物だけで通す者は一人もいなかった。
反対に一年中、洋服で通す者は家庭でも半分、外出の時はそれ以上ある。これは学生の特権で、明治・大正のころは学校で袴をはいても家へ帰れば必ず脱いでいた。昭和16年(1941年)ともなれば、洋服はすっかり身についた服装となって、家ではもちろん、買い物や映画や旅行でもそれで押し通すようになっていた。
ふだん着として支持を集めていた洋服は、いわゆる簡単着、ホームドレスの類という点だ。これは夏には涼しく快適で、実用性として十分に利用価値があった。しかし、それが外出着にふさわしい立派なものとは、彼女たち自身も思っていなかったであろう。きっと都会風俗の外出着の中では、洋装は未だ間に合わせの服という位置づけだったに違いない。デパート店員を始めとした大人の女性達の中では着物が、フォーマルな装いだった事がわかる。今でも成人式や結婚式といった晴れの日イベントでの登場が多いのもこの時代からの名残だといえる。
反面、若者の和装離れがこの頃より始まっていた。簡単に脱ぎ着の出来る洋服から、着付けそのものに技術を要する着姿に戻ることなかった。フォーマルな装いとしての文化が、世代継承出来なかったと考えられる。
しかし、時として和装がファッショントレンドとしてクローズアップされることがある。2016年、2018年にかけて映画化された『ちはやふる』の影響による大正ロマン着物。当時、都内の小学校卒業式では女子生徒の多くが色とりどりの袴姿で、特別な日を祝った。そして最近ではやはり『鬼滅の刃』だろう。この漫画も時代背景が大正時代で、主人公の妹が着ていた「麻の葉文様」はファッションマスクにまで取り入れられていた。新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣までもが、記者会見でこのデザインのファッションマスクを装着していたぐらいに広がった。
日本の伝統ポップスの演歌界からも、新感覚着物として注目を集めた大物歌手がいる。ド派手な衣装で話題をさらった小林幸子。彼女の代表曲のひとつの「千本桜」は、初音ミクのカバー曲だ。配信ライブで袖を通した着物にはモナ・リザや英字新聞をモチーフにした和洋折衷姿で唱いあげる。海外では、ロシアフィギア選手たちの日本文化好きもよく耳にする。最近ではメドベージェワ選手が、2017年に京都で撮った自身の舞妓姿がSNSで話題になった。相変わらず外国から映る和の装いは、日本らしさと日本文化を代表するアイコンとして永く親しまれてきている。
つまり、コロナ禍にあっては、外国人観光客の来日も望めないし日本の伝統行事の催し自体が行われていないのは、着物や振袖を着る機会そのものが失われた危機的状況。和装ファッションにもスポットが当たっている現在だからこそ、SNSを始めに若者との親和性の高いツールを使って和装への関心を高めていく仕掛けが必要となる。
そうすれば、ワクチン接種率の高まりとともに日本の感染者数も抑え込まれた日こそが、抜群なハレの日となる。その時こそ米国の独立記念日のように、花火とともに日本の伝統的な和の装いでハレの日を祝うのも悪くない。
そして、コロナ禍によって止む無く中止になってしまったセレモニーを改めて催すイベントがあっても良いのではないか。特にハレの日イベントは、周りから祝われるものだし、長い人生の中の2~3年遅れの催しは許容されるレベルなはずだ。確かに、過ぎ去った時間は取り戻すことは出来ないけれど、特別な機会は周りから作り出すことは出来る。そんな懐の深い日本社会であって欲しいと、願わずにはいられない。